看護のチカラ この人に聞いてみた 第10回 人しかいない (前編)

編集部が今、一番会ってみたい人に「コミュニケーション」についてインタビューするコーナー。
看護業界以外で活躍している人のコミュニケーション方法がお仕事のヒントになるかもしれません。
今回の ”この人は”介護福祉士の辻本敏也さんです。
人脈と口コミでお仕事するってどういうこと? コミュニケーションのサポートって何? 彼独自の「人」観、じっくり味わってください。

●辻本敏也(つじもと・としや)

辻本敏也(つじもと・としや)
1974年東京都新宿区生まれ。2004年上智社専介護福祉士科に入学、介護福祉士資格を 取得し卒業。都内の在宅介護事業所で高齢者介護、障害者支援に10年間従事。現在は、さまざまな理由で外出に困難さを感じる人の同行サポートを行っている。さまざまな理由とは、身体的介助が必要、コミュニケーションに不安があるなど。行き 先は、公園、スーパー、映画館、学会、USJ、銀座、沖縄、ニューヨーク、ロシアなどなど。移動手段は、車いす、徒歩、電車、レンタカー、船、飛行機など。

何をするかは利用者さんと僕とで相談

― 辻本さんは介護福祉士ということですが、施設や事業所、病院などに所属されているのですか。

僕が働いているのは施設ではありません。では、どのようにして利用者さんと出会うのかというと、ケースはいろいろあります。

例えば、若者をサポートする事業所から派遣されているケースもありますし、たまたま何かのイベントや集まりで介助を必要としている人と知り合って個人的に頼まれるってこともあります。僕が以前介護事業所に勤めていたときに知り合った利用者さんとは、介護保険サービスでは認められていない旅行に同行するということもあります。少し変わったところだと、世田谷区を通して利用者さんに出会うケースがあります。

いずれにしても、個人的に呼ばれることが多く、ケアマネさんやサービス提供責任者からの指示で動くのとは、少し違っているかなと思います。

― 世田谷区を通すというのはどういうことですか。

東京の世田谷区には「緊急介護人派遣」という独自の制度があって、料金は世田谷区が負担しますが、いつ会うのか、どこで会うのか、何をするのかについては、利用者さんと緊急介護人との間で決めます。対象となるのは、「身障手帳1・2級、愛の手帳1∼3度、脳性麻痺、進行性筋萎縮症の方」ってなってます。

保護者または家族が、病気、その他やむを得な い事情や、家族の休養・社会参加等で、一時的 に障害者(児)の介護ができない場合、介護人 を派遣するか、介護人宅に障害者を預かり介護 します。(介護人は親族以外の知り合いの方を 推薦することもできます。)

世田谷区ホームページより

僕の場合は、利用者さんとご家族と僕とで相談して決めることが多いです。あらかじめだいたいの内容を決めている場合もありますし、当日の利用者さんの体調や天候などを考えて、その場その場で相談することもあります。
例えば、今日は体調も天気も良いので、タクシーに乗って出かけた先でランチをしてから映画を観るのであれば、それにかかる僕の交通費、食事代、映画代は利用者さんの負担です。お宅に訪問するのではなくこのように外出する場合、僕が利用者さんを食事や映画に連れていっている、と思う人がいるのですが、そうではなく、僕が利用者さんに連れていってもらっているんです。僕が連れていってもらっているなかで、必要に応じて介助やサポートを提供する、という感じですかね。

― サービス終了後は、どんな流れなのですか。

利用者さんでも僕でも構いませんが、ほとんどは利用者さんがl何月何日にこんなサービスを受けましたzという書類を区に提出すると、僕の口座に世田谷区からお金が振り込まれます。ただ、上限が決まっていて、利用者さん1人につき1カ月20時間まで、1時間あたり1,000円なので、僕が受け取るお金は、利用者さん1人につき最大で2万円ですね。仕事としてはあまりもうかるものではないかもしれませんが、「さまざまな状況に応じて、サービス内容をその場で利用者さんと決められる柔軟さ」はとても使い勝手がよいので僕は大好きです(笑)。

― なるほど。辻本さんは世田谷区のその制度に登録されているんでしょうか。

登録というより、推薦されているということになるんだと思います、確か(笑)。何人か懇意にしているケースワーカーさんがいて、そこからの紹介という場合が多いですね。そのうちの1人のケースワーカーさんは、僕が訪問介護等の事業所で10年ほど勤めていたときに知り合って、僕のことをよく知っているので、「こういう方がいらっしゃるんですけど、辻本さん、一度お会いになってみませんか」と直接僕に連絡を入れてくれるんです。

― 辻本さんの人脈でお仕事されていると。

人脈!まぁ、そう言われると聞こえはいいかもしれないですけど、少し恥ずかしいです(笑)。僕の仕事は、人と人とが出会うこのマッチングがあってこそスタートするので、確かに人脈は大切にしています。利用者さんがお知り合いの方を紹介してくださって、新たに依頼されることもあります。

― 口コミじゃないですか。

口コミになりますね(笑)。
障害支援の場合は、「サービスが足りない!」と嘆く利用者さんがいる一方で、行政からサービスを支給されてはいるものの、毎月消化しきれないという方も結構いらっしゃいます。どういうことかというと、行政はこの人にはこれくらいの量のサービスが必要だ、とサービス量を決定するのですが、利用者さんからすると、欲しいサービスを提供してくれる事業所がない、ヘルパーさんがいない、という場合があるんです。具体的にいうと「そういったケースにはうちのヘルパーを派遣できない」「うちにはそういったサービスに対応できるヘルパーがいない」など、そもそも事業所が契約を結んでくれないことがあるんです。そういう場合に僕がお話を伺うことがありますね。

― 利用者さんとどんなところへ外出されるのですか。

映画を観に行ったり、展望台に上ったり、回転寿司を食べに行ったり、六本木ヒルズに行ったり、元旦に築地本願寺に初詣に行ったり、いろいろですね。
で、身体的に障害や病気がある方の場合だと、移動のお手伝いやトイレ、食事のサポートをしたりします。
また、電車に乗るときのきっぷの買い方がわからないとか、駅員さんとのやりとりがスムーズにいかないケースでは、コミュニケーションのサポート……と言っていいのか……をする場合もあります。僕としては、これは奥が深いと思っていて、利用者さんのためのサポートなのか、駅員さんのためのサポートなのか境目がないので、両者のサポートになるんでしょうね。利用者さんと駅員さんをつなぐ、というか。

渋谷や新宿などの大きな駅には改札口がたくさんあって、駅員さんもたくさんいるのでお互いに顔を覚えるのは難しいですが、そこから電車で20分くらい離れた小さめの駅だと、改札にいるのはだいたい同じ駅員さんなので、利用者さんがきっぷと障害者手帳を持って改札に立つことが3日続けば、駅員さんは覚えてくれます。初日は戸惑うこともあるでしょうが、3日目にはなんなら僕が介入しなくても、利用者さんと駅員さんとでスムーズにやりとりができるようになります。
そういう意味で、人と人とのやりとりの形が変わるのを目の当たりにできる仕事なんで、おもしろいですね。

僕は指名制?!

― 「次も辻本さんに入ってもらいたい」というご指名はあるのですか。

基本的に僕はご指名で仕事に入ります。呼ばれたら行くんです。逆に、呼ばれないと行けません(笑)。だから、僕から営業をかけることもありません。

日本ではまだまだ浸透していない、ヘルパーの指名制度みたいな感じですね。でも、この指名にも2つの意味があると思っています。1つは、僕のことを「イイ」と思ってくれて指名してもらうパターンと、もう1つは「他に対応してくれるヘルパーがいないから、しかたなく」僕を呼ぶパターンです。いずれにしても、呼ばれたら行くんですけどね(笑)。

― 後者の場合、辻本さんは「しかたなく」を想定されるのですか。

そうね、そうねぇ……。この2つのパターンの境界線はあいまいかな、とも思うんです。僕はどちらにせよ行きますし。でも、できれば、僕を指名してくれる利用者さんが僕以外のヘルパーさんとも時間を過ごせるほうが「選択肢がある」という意味で豊かになるかな、と思います。

利用者さんが僕のことを「イイ」と思ってくれるのはヘルパー冥利に尽きるんですが、一方で、僕ばかりになるのも、利用者さんの世界を狭めることになるんじゃないかな、と。もし何かあったときに、僕以外のヘルパーさんとも人間関係を築けていたほうが、「選べる」「他も知っている」という点で豊かなんじゃないかという思いがあるので、ありがたくもあり、申し訳ない気持ちになることもあります。

― 今、辻本さんがおっしゃったことを自分の生活に置き換えてみたんですが、私は美容院に行くときは担当の美容師さんを指名します。たまに浮気して家から近い美容院に行くこともあるのですが、なんか違うんですよ。それでやっぱり長年通って指名している美容師さんに戻るわけです。その美容師さんは細かくオーダーしなくても、想像以上にステキな仕上がりにしてくれて。

わかるー!!!

― あ、わかります(笑)?要するにその美容師さんを「信頼」しているんです。辻本さんを指名される利用者さんにもそういう気持ちがあると思うんですが、利用者さんとかかわるときに大事にしていること、気をつけていることはありますか。

「この人が僕を呼んだのはなぜだろう」とは考えますね。

例えば、「辻本さんといると安心」と言ってくれる人もいますし、「どこに出かけても、辻本さんは楽しんでくれるからうれしい」と言ってくれる人もいます。僕ね、たぶん好奇心が強いんですよ。人と人とのやりとりがすごくおもしろいんです。それに参加させてもらってる、という感覚なので、利用者さんとの外出を楽しんじゃってます(笑)。

介護をしているとかいう感覚はほとんどないんでしょうね。ただ同じ時間を一緒に過ごしていて、必要時にお手伝いする、いつ僕が必要とされるかわからないから常に側にいる、っていう。

例えば喫茶店に行ったとして、利用者さんとおしゃべりを楽しむことあるし、利用者さんは本を読んで、僕はスマホをいじっているということもあります。んー、友だちのような、友だちではないような。僕もわからないことはたくさんあるので、頼りになるような、ならないような。ただ、いわゆる利用者さんと介護職という関係じゃなくて、その時間を一緒に過ごしましょう、みたいな関係性ですかね。

まあ、僕が呼ばれているからには、安心して安全に何かをしたいということでしょうから、安心と安全はある程度、僕が担保します。が、それだけに終始されていたら、利用者さんはきつくなるんじゃないかと思うんですよ。僕もそこばかり気にしていたらきついです。だからある程度はお互いが好きなことをやるという。

とはいえ、友だち同士ではないし、お金が発生することなので、利用者さんが安心して安全に、そしてできれば一緒に過ごす時間が豊かだと思ってもらえるように配慮している……んでしょうね。このインタビューを受けるまで考えたこともないけど(笑)。ただ、「辻本、呼ばなければよかった……」と思われないようにがんばっているつもりです。

― 辻本さんにとってはあたり前すぎて、無意識なんですかね。

福祉の世界に入ったころは、「介助者は何でもできなきゃいけない」「介護職員が何でもする」ものだと、今、振り返ると思っていたのかもしれません。だけど、実際に働いてみると、僕の知らないことはたくさんあるし、できないこともたくさんあるし、やったことのないこともたくさんあるし、何でもかんでもカバーできるはずがないことに気づきました。

で、介護職が100%何でもしなくてはいけないと思っていたときは、利用者さんに「○○してあげる」とか「○○させてあげる」とかいう考えを、意識する・しないにかかわらず持ってた!陥ってた!

だけど、この仕事をしていてつくづく思うのは、「障害者」という言葉があるけど、僕は、障害者という人がいるとは思っていない立場であることなんですよ。

障害者はいない

「障害者」って、あくまでも制度上のものです。なので、制度上、「障害者」と区分されることはあります。ただ、人をカテゴライズするときに、あの人は健常者、この人は障害者とするのは、僕は正直、間違っていると思うんです。
「○○ができる・できない」とうのを「医学モデル」と呼んだり、「車いすでは階段が上れないのは、階段をつくっている社会に問題があるんじゃないか」というのを「社会モデル」と呼んだりするわけですが、僕は、そもそも障害者がいると想定しているこの社会が「障害者モデル」をつくっているのではないか、いるのは人だけで、そこにあるのは人と人とのやりとりだけだと思いますし、感じています。「障害者」という人はいません。いるのは「人」だけです。あるのは「人と人とのやりとり」だけ。健常者がいて、健常者からはみ出ている人を障害者としているんだけども、そうじゃなくて、全員「人」なんだと。僕たちの社会って思っているよりも「人」の幅って広くて分厚くて、「人」のなかにはいろんな「人」がいるよね、ということです。みんなが思っているよりも、もっともっといろんな人がいるし、いるのは人だけだとしか思えません。

― どうしてそういう考えに至ったのですか。

僕が20歳になったときに、何も変わらなかったんですよ。成人になったわけですが、19歳だった昨日と何も変わらない。制度上、成人になっただけで、僕自体は何にも変わっていないんです。
高齢者も同じですよね。65歳になると制度上、高齢者に分類されるだけであって、個人がいきなり高齢者に変わるわけではない。だって、数年前までは60歳で高齢者だったんですよ、制度上。だから「高齢者」も「後期高齢者」という人もいません。
児童だっていません。18歳未満を児童としているだけです。まだ社会化されていないであろう年齢の人たちは、手厚く保護しましょうということであって、「児童」という人はいません。ちょっと前までは20歳になったら選挙権が発生しましたが、今は18歳からです。でも成人は20歳。さらに、これは日本だけのおハナシで、海外では成人として認められる年齢がバラバラだったり、そもそも成人という概念がないエリアやコミュニティがあったりもします。

制度や社会や時代や国が変われば、人のカテゴライズも変わります。本人が「自分は障害者だ」と思う分にはいいんでしょうけど、人から「あなたは障害者です」とジャッジされるのは、僕はあまり好きじゃないです。キライです。今が平安時代だったら、僕はちょー高齢者ですもん。アテになりませんよね。

アテにならないといえば、今は自閉症(Autism)という疾患名はありませんよね。DSM-5で「自閉症スペクトラム障害(AutismSpectrumDisorder)」に変わって自閉症スペクトラムとか自閉スペクトラム症と呼ばれています。疾患のとらえ方も診断基準も診断名も変わるんです。アテになりません。アテにならないんだけれども、絶対に変わらないのは、「人」であること。

病院や施設では「患者さん(利用者さん)の尊厳を守ります」という理念が額に入って飾られていますが、あれはちょっとどうかしていると思っていて、「人の尊厳を守ります」にしないと、そこに従事している人の尊厳は踏みにじっていいのか、医療関係者や介護職員などの尊厳は無視していいのか、になっちゃう。もっと人の尊厳について考えたり、真伩な態度を取らないと。「誰かだけ」というのはおかしいし、続かないと思います。

そもそも「障害者」という人も「高齢者」という人も「児童」という人もいないから、いない人の尊厳を守るって無理があります。だったら絶対に揺るがない「人の尊厳を守る」のほうがマシです。人でいることは制度じゃないですから。でも、僕が最初からこう思っていたかというとそうではなく、めちゃくちゃ失敗しています。それに、僕がこの考えを実践していて、100%誰も傷つけずに誰ともいざこざを起こさないかというと、全然そんなことはありません。あくまでも僕がこう思っているだけです。

この考えに賛同してくれる人もいれば、しない人も当然います。それに、「障害者」という言葉を使わないほうがいいとかなくしたほうがいいとか、僕は全然思いません。障害者の「害」の字はよくないからと、「碍」や「がい」と表記しているのをよく見かけますが、それも特に気にしません。障害者という言葉を使ってもいいし、障害者手帳という制度も(当面)あっていいと思います。障害者も高齢者も児童も制度上あるのであって、いるのは人だけだから。「みんな人だよね」ということが社会で了解されていれば、どんな言葉を使ってもいいと思います。たぶん、みんな世間慣れしていないだけじゃないかな。自分とは違う人がいるのはなんとなく知っているけど、出会ったことがないから、自分とは違うカテゴリーにしたくなるのかもしれませんね。でも彼らや彼女らもみんな人で、実はあんまり変わらない。ただ世間慣れしていないだけです。こんなこと言うと、じゃ辻本は全部の世間を知っているのか!ってなりますが、僕だって一部の世間しか知りません。ただ、僕は「僕も一部の世間しか知らない」ということを知っているので、自覚を持とうと努めています。「自分は世間慣れしていない」とは思わない人と、そこがちょっとだけ違うのかもしれません。

小学4年生のおじさん

― さっき、「好奇心が強い」とおっしゃしたが、それは「世間慣れしていない」自覚があるからこそ、知らない世間を知ってみたいのかもしれませんね。

あー、それはあるかも。「どんな人いるんだろう!」って思います。

― それは小さなころからですか。

小さなときは人が怖かったです。人嫌いだったと言ってもいいでしょう。

― えーーーっ!

小学校4年生くらいのときにクラス委員をやっていて、あるとき先生が「○週間後の5、6時間目を使って、みんなで好きなことをやっていい。やる内容は、毎日のホームルームでクラス全員で話し合って決めなさい」と言ったんです。クラス委員の僕は、みんなの意見を聞きつつ、まとめる役割です。女の子はゴム段とかバレーボールがやりたいと言うし、男の子はサッカーとか野球がやりたいと言って、全ッ然まとまらない(笑)。
そんなある日、僕はお腹が痛くて病院に行きました。いつもかかっている小児科の先生は診察が終わると、「小児科ではなく、胃腸科に行って」と言ったので胃腸科に行きました。すると、白い液体としゅわしゅわを飲まされ、台の上に寝ころんでげっぷをがまんしながら上下左右にぐろんぐるん回された結果、くだされた診断は十二指腸潰瘍。僕はバリウムと発泡剤を飲んでたんですね、小4で(笑)。

― すみません、笑っちゃいけないけど(笑)。

胃腸科の先生は「これはねぇ、上司と部下に挟まれた中間管理職のおじさんがなる病気なんだよぉ」と。そのときは意味がわかりませんでしたが、今考えると、学校の先生とクラスメイトとの板挟みでどうにもならなくなって、ガキだったのにいっちょまえに責任を感じて十二指腸に穴が空いたんですね(笑)。それ以来、中学を卒業するまで毎日、学校に行く前とお昼ご飯を食べた後に胃薬を飲む生活を送ることになるのですが、結局そのもらった2時間で何をやったのか、まったく覚えてないんですよ。

― まとめることに気を張っていたんですね。それで人嫌いになっちゃったんですか。

当時の僕に人嫌いという意識はありませんでしたが、今考えると、人が苦手だったことは否めません。うまくさばけなかったという自責の念もあるかもしれないし。「勝手ばかり言って、みんなふざけんな、コノヤロー!」が言えなくて十二指腸に穴が空く子どもでした(笑)。
そのとき、母に「何があっても、命までは取られない」と言われたんです。「そうか!僕が人間関係でいくら悩んでも、殺されることはないな。だったら、まぁイイか!」ってなって。

状況提示が大好き

― さきほど、「コミュニケーションのサポート」「両者をつなぐ」とおっしゃいましたが、もう少し、詳しく教えてください。

例えば、電車で不思議な動きをしていたり、不思議な声を出している人がいたとしますね。他人に危害は加えないんだけども、一般的に、ハタからすれば、あまりにも見たことがない光景だから危機感を覚えます。「もしかしたら、ヤバいことに巻き込まれるんじゃないか」と危惧するわけです。経験したことがないから、その状況を定義できません。今の状況がわからない→今後どうなるのかも予測できない→ヤバいんじゃないか、という思考ですね。誰でも未知のことは怖いです。

そこで、僕が不思議な動きをしていたり、不思議な声を出している利用者さんに「今日もマックでイイの?それとも中華にするー?」とか「マックにするなら、僕、こないだのクーポン持ってるから、また使えるよー」とか話すことで、周りの人に「あ、この2人はよくご飯食べに行ってるのかも」とか「よく電車に乗ってるのかも」とか推測してもらえたら、落ち着いてスマホだったり、読書だったり、おしゃべりだったり、居眠りだったり、窓の外を見ることに戻って、普段の平穏が訪れるんじゃないかと思ってて。

それがサポートや介助と呼べるのかわからないけど、人と人とのやりとりの形をつくることがあります。“これ日常なんですよ”“みんなが身構えるようなことは何も起きていませんよ”という状況を提示するということですね。もし僕が「みんなが身構えるようなことは何も起きていませんよ」と口に出してアナウンスしたら、そっちのほうが怖いですよね(笑)。僕はそんなこと言っている人、見たことない(笑)。なので、普段からしているコミュニケーションで提示しています、意識的に。状況提示が好きなので頻繁に(笑)。

これは一種の演技ですね。「演技」というとあざとく聞こえるかもしれませんが、例えば、僕が気になる女の子の前でカッコつけたり、おもしろいこと言ったりするのも演技です。買い物をするときにはその場にふさわしい「お客さん」を演じています。意識する・しないにかかわらず、みなさんも日常的に演じているので、全然、特別なことじゃないハズです。

僕が誰かとの自然で日常的なやりとりを「意識的」にいろんな場面で提示するのは、願わくば、その光景が「普通」になって、もっともっといろんな人が狭苦しさを感じないですむんじゃないかと思っているからです。

特に日本は日本人が多いからねー。同じ情報があれば、みんな同じ答えを出すだろうと思いがちだけど、同じ情報があったって、出す答えはみんな違うんですよ。“ドラクエバージョン5が出たー!”って、僕はスゲー盛り上がってるけど、何のことかわかりますか(笑)?

― え、それおいしいの?って感じですね。

でしょ(笑)!同じ情報があったって、出てくる反応はバラバラなんですよ。僕、ちょこちょこアメリカに行くんですけど、アメリカではよく感じます。それがどんな反応なのか解読不能なことがたくさんあるから、人がどう思ってそういう反応をするのか考えきれないんです。全然追いつかない。だから考えるのをやめちゃう(笑)。で、自分のやりたいことをやるし、言いたいことを言う!それで誰かに何か言われたらそのとき相談!くらいのおおらかさが、今、生きづらさを感じている人たちを包み込むハズ!だって、生きづらさを感じていない人だって包み込むんだから。全員、人だから。

年齢だって、その人が生まれてから地球が太陽の周りを何回回ったかってだけの話で、そんな重要ではないと思うんですよね。なんかジョン・レノンみたいな話になってきちゃいました(笑)。

1人でいたい人がいたってイイし、みんなと仲良くしている人がいたってイイ。でも、本当はみんなと仲良くしたい人が1人ぼっちでいるのは僕はあまり好きではないので、もしそういう人が僕のことを呼んでくれるのであればどこでも行くし、僕にできることであれば何でもするし。ただ、僕も人のことを嫌わないわけではないから、一緒に過ごして嫌いな人だったら「ごめんなさい」です。

左腕の手術

― 看護師さんとのエピソードがあれば教えてください。

10歳のときに左の肘を骨折して、骨はある程度きれいにくっついたんですが、尺骨神経に損傷を受けて左手の小指、薬指、中指が動かなくなりました。尺骨神経って、小学生のときに後ろの席の子に呼ばれて振り向いたときに肘を机にぶつけて“バイーーーーーーン”って痺れるあの神経です(笑)。当時なりのリハビリはしたのですが、指のまひは残りました。24歳くらいのときに、もうちょっと回復しないかなと、友だちの紹介でリハビリ病院に行きました。そこで筋電図検査をしてもらったんです。筋肉に細い針を刺して筋肉内の電位を測るんですが、これが痛い(笑)!しかも針が刺さったまま「動かしてください」って無茶言うんです(笑)。

結果、「尺骨神経は機能していないわけではないけど弱いです。その代わり、別の神経が支配しようとしています」と。尺骨神経が弱い分、別の神経がその機能をカバーしているということらしいんです。普通、小指とかを動かす神経は1本なんですが、筋電図の波形を見ると2本出ていて、かなりめずらしいとのこと。僕はギターを弾くのが好きで、指が動かなくてもムリヤリ弾いて動かそう動かそうとしていたから、体が順応しようとして別の神経が伸びたのかもしれない、と先生に言われました。人間の体ってよくできてますよね。

ただ、その時点では僕の神経がどうなっているのかがわかっただけで、根本的な治療をしたわけではありません。数年後、次第に左手の小指、薬指、中指が動かしにくく、触ってもよくわかんないし、握力がなくなってきてしまったので、整形外科へ行くことにしました。そこにはたまたま手の専門の先生がいて、「レントゲンで見てもわかることではないから、開けて神経の状態を見るしかありません。ただ、手術をしたからといって、手の状態が骨折前に戻ることはないと考えてください。手術で進行を遅らせられるかもしれないし、少しは回復するかもしれません。ただ、くれぐれも、骨折前に戻るとは思わないでください。どうしますか?」と念を押されました。当時、25、26歳だった僕はこれ以上悪くなるのは怖かったので、「やってみっか」と、手術することにしました。

手術では、尺骨神経が組織に癒着していた場合、その組織からはがすとのこと。尺骨神経は一番外側を走っているので、机とかにぶつかったときに「バイーーーン」って痺れるのですが、僕の損傷した尺骨神経を外側のままにしておくと肘を曲げたとき負担が大きいので、はがした神経を脂肪のある肘の内側に走行させるらしいのです。うえー。

― うえー。

手術の前に、筋肉注射でヘロヘロになるお薬を打たれ、ヘロヘロのフラフラなので手術室までは車いすで運ばれました。そして局所麻酔で手術が始まったのですが、僕、結構ずっと意識があったまんまで。本当は意識があったままではいけなかったみたいです。看護師さんに「眠くならないんですか?」って聞かれたので、「大丈夫です。みなさんにがんばってもらっているのに、僕1人だけが眠るのは申し訳なくて」と答えると、優しく、「いやいや、すごく眠くなるお薬を入れているので、寝てもらって平気ですよ」と言ってくれました☆

― 辻本さん、気の遣い方が間違ってる(笑)。
 
後編へつづく

[2019年 10 月]

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