看護のチカラ この人に聞いてみた 第6回 心のバリアフリー (前編)

編集部が今、一番会ってみたい人に「コミュニケーション」についてインタビューするコーナー。
今回はタレント・中嶋涼子氏のインタビューをご紹介します。
幼いころに突然、歩けなくなり、ひきこもっていた中嶋氏。
そんな彼女を外の世界にかり出した出来事とは。

●中嶋涼子(なかじま・りょうこ)

中嶋涼子(なかじま・りょうこ)
1986年 7 月16日、東京都大田区生まれ。 9 歳の時に突然歩けなくなり、原因不明のまま下半身不随になり車いすの生活へ。「横断性脊髄炎」と診断される。突然の車いす生活により希望を見いだせず引きこもりになっていたときに、映画『タイタニック』に出会い、心を動かされる。以来、映画をとおして世界中の文化や価値観に触れる中で、自分も映画をつくって人々の心を動かせるようになりたいと夢を抱く。2005年に高校卒業後、カリフォルニア州ロサンゼルスへ渡米。語学学校を経て2005 年 9 月よりエルカミーノカレッジへ入学。2007年、エルカミーノカレッジ卒業。 2008年、南カリフォルニア大学映画学部へ入学。2011年、南カリフォルニア大学映画学部を卒業。2012年に帰国後、通訳・翻訳を経て、2016年から FOX ネットワークスにて映像エディターとして働く。
2017年12月、FOX ネットワークス退社後に、車いすインフルエンサーに転身。テレビ出演・YouTube 制作・講演活動などさまざまな分野で活動し、「障害者の常識をぶち壊す」ことで、日本の社会や日本人の心をバリアフリーにしていけるよう発信し続けている。車いすチャレンジユニット「BEYOND GIRLS」、不良車いすユニット「BadAss Sores」としても活動中。

UD を広めたい

― 中嶋さんがテレビや SNS で触れている「UD」について教えてください。

私はおへそから下の感覚がなく、排便障害があるので、下剤を飲まないと全く便が出ないんです。だから、ほっとけば何日でもためられるんですが、ためすぎると心臓が痛くなっちゃうんですね。なので、3 日に 1 回はプルゼニドを夜飲んで、次の日は丸 1 日を排便に費やします。その日は家のトイレを占領するので、家族から「早く出てよ」とか言われて申し訳ないですが。
以前は排便する日を「下剤の日」もしくは「うんこデイ」と呼んでいたんですが、親しい友だちに「略して UD」と言われ(笑)、気持ちが楽になりました。排便障害を持っている人の中には「うんこデイ」を設けてる人もいると思うんですが、正直、他人には言いにくいですよね。私が会社員だったとき、「うんこデイ」はお休みしていました。翌日出勤すると先輩から「昨日は何してたの?」と聞かれ、「ずっと寝てました」と答えると、「少しは遊びに行きなよー」とか言われるんですよ。「いやいや、うんこしてたし」と思っても言えなくて。
でも、「今日は UD なんだよね」だったら言いやすいし、周りの人にも理解してもらいやすいと思うので、UD 大使として UD を広めていきたいです。ちなみに私は明日、UD です(笑)!

「足が動かない……」

― 車いすを使うようになったきっかけは何だったのですか。

スポーツが大好きな元気いっぱいの子どもでしたが、小学校 3 年生の 9 歳のときにかぜをひいて治った 1 週間後、友だちと遊んで鉄棒からおりたら、突然、足がふらつきました。友だちに支えてもらいながら何とか歩いて保健室に行き、 5 分くらいいすで休んで授業に戻ろうとしたら立ち上がれなくて転んだんです。「足が動かなくなってる……」。保健室の先生に抱っこされて病院に運ばれると、そのまま入院することになりました。
お医者さんから、「前の週にかかったかぜの菌がたまたま脊髄に入ってたまたま炎症を起こしている、もしくは、鉄棒からおりたときのちょっとした衝撃で脊髄が炎症を起こしている可能性がある」と言われました。いずれにせよめずらしい症例らしく、いろんな学会に出され、学会中に、「前の日に何を食べましたか」と質問さたので、「さば寿司」(笑)と答えると、「原因はさばかもしれない」とみんなが話し合いだしたり。
病名は横断性脊髄炎と診断されましたが、 4 回転院してもはっきりとした原因は不明だし、治す術もなかったので、合計で 1 年間の入院を終えました。
車いすでの生活は24年目です。

中嶋涼子(なかじま・りょうこ)

― 急に足が動かなくなったことをどう受け止めましたか。

予測外の出来事だったんですが、昔からポジティブだったし、子どもだったので、何も考えずに入院生活をエンジョイしていました(笑)。看護師さんと遊んだり、お医者さんにかまってもらったり。なかなか退院できないな、と思っていたある日、お母さんが「なんか、もう歩けないらしいよ」って軽いノリで言ってきたんです(笑)。
実は、入院初日に鼻からチューブ入れられて、ベッドで動けずにいたところ、病室の扉が少しだけ開いていて、そこからお母さんが誰かと話しているのが見えました。いつもめっちゃ明るいお母さんが泣いているのが見えちゃったんです。それで「私に激しめの何かが起きているんだ」と思いました。それ以降、お母さんは平然としていたし、私も入院生活を楽しんでいたんですが、お母さんが泣いていた日のことが忘れられなくて。なので、お母さんから「涼ちゃん、もう歩けないっぽいよ」と言われたときも「そうなんだぁ」と明るく返しましたが、内心ショックでしたね。でも、お母さんはあえて軽く告げてくれたわけだし、すぐに明るく楽しい入院生活に戻りました。
退院してからです、内気になったのは。

ひきこもり時代

― 小学校は入院前のところに戻られたのですか。

中嶋涼子(なかじま・りょうこ)

はい。担任の先生が「ぜひ、戻ってきてほしい」と言ってくれました。私立に通っていたんですが、理事の中には「養護学校に転校したほうがいい」と言う人もいて、担任の先生は「サポートするから」とかなりたたかってくれたそうです。
ただ、私だけ車いすでいることや、みんなから見られるのがすごく嫌でした。1 年生の子とかに「何、あれー?」とか「カッコ悪い」とか言われて、それ
以来、自分に「車いすはカッコ悪い」という偏見が生まれました。そう思う自分も嫌だったし、車いすに乗っていることがコンプレックスになりました。
だから今、テレビや YouTube で「カッコイイ女」を演じている(笑)のは、ホントは弱いところもあるけど、コンプレックスをはね返すために、「カッコイイ」と思われたい気持ちが強いからなんです。

中嶋涼子(なかじま・りょうこ)

― 学校以外ではいかがでしたか?

車いすで初めて街に出たときも、人からの視線が本当に嫌でしたね。悪気なく、ただ「何だろ」と思って見ているだけなんでしょうけど、私からしてみれば「みんな、すごい見てくる……」って思っていました。
歩いていたころのように気軽に電車にも乗れないし、ちょっとした階段のあるお店にも行けなくなったことも悲しくて。いつもお母さんに頼まなきゃ 1 人ではどこにも行けないことで自信をなくしましたね。それでひきこもっていた時期もありました。

運命の出会い

そんなある日、友だちが「映画見に行こう」と誘ってくれたんです。「映画館なんて人がいっぱいいて嫌だな」としぶしぶだったのですが、その作品にハマっちゃいました。『タイタニック』です。「やぁぁ、カッコイイ !!!」と主演のディカプリオに一目惚れ。子どもだったので、ラブシーンも衝撃的で(笑)。見終わった後、「また外に出て映画を見たい」と思ったんですよ。お母さんにも「映画を見に行きたい」、「外に出たい」と初めて言えました。
結果、11回見に行ったんですよ、『タイタニック』。しつこいでしょ(笑)。
公開から時間がたつと上映期間が終わってしまうので、自分で電話して『タイタニック』をやっている映画館を探しました。上映している映画館のオペレーターにたどり着き、開始時間なんかを教えてもらって最後に「あ、車いすなんですけど」と言った瞬間、電話を切られたことがあります。笑いながら「車いすの人は家にいればいいんですよ」と言われたことも。

― えーっ?!

すごいムカついてたら数年後、その映画館、潰れました(笑)。
傷付きながらも『タイタニック』が見たくて見たくて、ふざけた対応の映画館にもあえて行きました。階段を上りたいことを映画館の人に伝えると、「責任持てないので手伝えません」と言われることも。その場合、通行人に「手伝ってください」と頼んで、ムリヤリにでもスクリーンまで運んでもらいました。それで結構、度胸がつきましたね。 11回見に行ったことで、街に出ることや人の視線にも慣れていきました。

そしてアメリカへ

中嶋涼子(なかじま・りょうこ)

『タイタニック』のおかげで、「自分も将来、映画の仕事に携わって人にパワーを与えられるようになりたい」と思ったのが小学校 5 年生のときです。高校を卒業してからアメリカに行き、大学で映画を学びました。
7 年間アメリカで過ごしたんですが、すごく自由でしたね。バリアフリーも当たり前で。道ばたで会った知らない人から「何で車いすに乗ってるの?」 とか「その車いすカッコイイね」とか普通に言われるんです。それでそのまま友だちになったり。日本だとこんなことまずありません。気を遣って車いすにあえて触れない、という扱われ方だったので、「アメリカが私の居場所かも」と思いました。自分が車いすでいることを忘れるくらい心地良かったんです。
トイレも障害者用なんてなくて、個室が全部広いから誰が使ってもいいんです。女の子同士ってよく“連れション”するじゃないですか。日本では男性用、女性用、障害者用と分かれているのでできなかった“連れション”がアメリカで初めてできました(笑)。すごくうれしかったな。帰国後、成田空港でトイレに行ったときに「あ、そういえば障害者だった」と思い出しました。
日本で映画製作関係の会社に就職して夢がかなったんですが、帰ってきたばかりのころは、「日本って暮らしづらい」と思っていました。でも今は、アメリカでの生活があったからこそ、日本も、環境も心もバリアフリーになったら障害者でももっと楽しく暮らせる、と思うようになりました。なので、私のいろんな発信活動が、日本が誰でも暮らしやすい社会になるために貢献できたらうれしいです。

中嶋涼子(なかじま・りょうこ)

― アメリカでの体験が大きかったんですね。

そうですね。文化や国民性など、難しいこともあると思いますが、変わるきっかけになるといいな。

どんどん壁を壊したい

― しかし、中嶋さんが映画館で言われたことはひどいですね。

あんなこと言われたら、外に出たくなくなりますよね。そういう車いすユーザー、いっぱいいると思うんです。タクシーの乗車拒否もありますからね。運転手が車いすであることを確認した途端にスピードを上げてそのまま通り過ぎちゃう。それを経験した人はもう乗りたくなくなりますよね。当たり前で す。でも、私はそれでも負けずにやり続けて、こういう人もいることをいろんな人に知ってもらいたい んです。
階段しかないレストランに通い続けたら、スロープが設置されてたことがあって。小さなことかもしれないけど、うれしいです。ちょっとずつでも変えていけたら。

― そういえば、オシャレなカフェやレストランはちょっとした段差がありますね。

そうそう。特に美容院は路面店が少ないんです。オシャレビルの上のほうにあることが多い(笑)。
こないだ、段差の多い原宿の美容院に行ったんですが、店員さんが席まで抱っこしてくれました。心のバリアフリー、いいですよね。でも行かなかったら、お互い何も分かりません。とにかく行ってみて、触れ合って、「なんだ、普通の女性じゃん」といろんな人に思ってもらえれば、壁がなくなっていくんじゃないかと思っています。だから、いろんなところにどんどん突撃していこうかなと。アクティブでちょっとクレイジーな車いすユーザーを目指しているんで(笑)。

暮らしやすく、はできる

― 車いすあるあるみたいなものがあれば教えてください。

エレベーターに乗りたいのに、人がいっぱいで乗れないことはありますね。
ある日、 3 回見送ったことがあったんです。全然乗れなくて。さすがに勇気を出して「歩ける方は近くにエスカレーターがあるので、そちらを使ってもらえませんか」と言ってみたんです。そしたら 1 人の女性が嫌そうな顔をしていたものの、エレベーターから出てくれて、おじさんが中から扉が閉まらな いように押さえてくれました。イイ人です。
でも、おじさんが立っている位置が入口をふさいでいたので、「少し、奥に行ってください」と言ったら、「何だよ、偉そうにッ!」って怒られました(笑)。いろいろ指示的なことを言ったから、「偉そうな障害者」だとキレちゃったみたいで。
私は「偉そうな障害者」ではなくて「偉そうなヤツ」です。「偉そうな女」でキレられるならまだ分かるんですけどね(笑)。いやいや、奥に移動してほしいとお願いしただけだから、キレられても困るんですが。
そのおじさん、キレながら逃げました。しかも、エスカレーターとは反対方向に(笑)。その時、もう 1 人、車いすユーザーの友だちといたんですが、私たちは「あの人、余裕ないんだね。かわいそうなおじさんだね」と。「俺はイイことしてやったのに」と思ったんですかね。
アメリカはレディファーストもあるんでしょうけど、誰でも扉を開けてくれたのに、日本は余裕がない人が多いな、と。満員電車で通勤している人も大変ですよね。誰もぎゅうぎゅうの電車に乗りたくて乗っているわけじゃないだろうに、車いすだとさらに大変だと思います。
自分が車いすになって、アメリカに行ったことで見えてきたことがたくさんあります。アメリカに行く前は嫌なことばかりで、「みんな死んじゃえ」ってすねてました。それでアメリカに逃げた部分もあります。
でも、アメリカの悪いところも見えて。電車が時間どおりに来ないとか、上辺だけで褒め合うとか(笑)。同時に日本の良さも分かってきました。おもてなしの心があるし、仲良くなれば本当に優しいし。その良さを分かった上で、さらに暮らしやすくできるはず、と思えるようになったので、アメリカに行ったことは私にとって貴重な体験でした。

中嶋涼子(なかじま・りょうこ)

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