分岐点
(私のターニングポイント)
北川潤一郎 高槻まち衆


update:2014.01.21

この記事は「企業と人材」2013年10月号に掲載されました。

1999(平成11)年

 ベッドタウンって何? 人がいない、歴史も観光の目玉も何にもない。うちの街って本当にしょーもない。なんか楽しいことないんかなぁ~っと、30歳までの僕はずっと不満を抱いてこの街で暮らしていました。経営する喫茶店は駅前にあるものの、いわゆるシャッター通り商店街。夕方まではまるでゴーストタウン。お客さんは近所のおばあちゃんくらい。
 ある日、常連のお客さんに「あんた、そこまで言うんやったら、自分でなんかやり。この街で生きてるんやから、外野からもの言うてたらアカン」と言われ、目が覚めました。
 自分の街は自分でつくる、これっきゃない! 夜な夜な会議と称する飲み会を催し、不満を持つ仲間を集め、考えたのが「高槻ジャズストリート」。すべて無料で有名プロミュージシャンがバンバンやってきて、人と音楽が溢れるゴールデンウィーク! 話は盛り上がるが、いざそれを実行しようとすると問題が山積み。
 資金は? ミュージシャンはどうやって招聘するの? 会場は? 音響は? 宣伝は? 勢いだけの僕らはいきなり暗礁に乗り上げたのでした。初めてのイベントにお金を出してくれるスポンサーなんて、ひとつもない。有名ミュージシャンに声掛けはしたものの、ギャラが幾らかも知らない僕らは、500万円のギャラの人に手弁当で来てくれないかと言って激怒されたり、新聞・テレビのどこへ行けば取り扱ってくれるのかも知らず、胡散臭い業者にあやうく騙されそうになるわ……すべてが失敗の連続。
 もう諦めかけてたそのとき、日本屈指の名トランぺッター日野皓正さんが話を聞いてくださり、ゲストに来てくれることになりました。いまだから話せるが、ギャラの話を一度もせずに約束してくれたのです。山は動いた。
 1999年5月、第1回高槻ジャズストリート開催。僕らが夢見た街が人と音楽で溢れる光景が実現しました。
 それから15年。会場は50を超え、参加ミュージシャンは約3,000人、1,500人のボランティアで2日間、毎年10万人以上の人がゴールデンウィークに高槻に来てくださる屈指の音楽祭になったのです。
 僕の名刺には“高槻まち衆”という肩書きを入れました。いまでは多くの人と一緒にわが街をつくっている実感があります。まち衆の誇りを持ってこれからもやっていきたい。

 

●プロフィール
北川 潤一郎 高槻まち衆
1966 年生まれ。高校卒業後、ホテル勤務を経て、地元大阪府高槻市に喫茶店を開業。1988 年に(有)JKʼS 代表取締役就任。同年北城通商店街に青年団を立ち上げ、初代団長に就任。翌年、高槻市を盛り上げることを目的に高槻ジャズストリートを始める。高槻まちづくり㈱取締役。(社)高槻市観光協会副会長。食の文化祭実行委員会発起人。2013 年10 月12 ~13 日食の文化祭にて「高槻プロレス」旗揚げ公演を予定。

今年も5月3~4日の2日間、高槻ジャズストリートを開催します。
世界中から素晴らしいミュージシャンを招聘します。
ゴールデンウイークの高槻は凄いですよ。
ご期待ください。 http://www.0726.info/
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