人事の地図

インタビュー

「雑誌 × web」クロスインタビュー

Interview 6

〜株式会社HCプロデュース シニアビジネスプロデューサー 吉田 寿〜
〜株式会社プロテリアル 常務執行役員兼 CHRO 人事総本部長 中島 豊〜

Episode4

偶然とチャンスと信念と

編集部

ここからは改めて富士通退社後のキャリアについてうかがっていきます。先ほど話題にあがりましたが、吉田さんは大学院に入学されて、卒業後は三和総研でコンサルタントになられたんですよね。

吉田氏

そうです。結果的にコンサルティングに携わるというのが正直なところですが、入社した時の思惑は違いました。これは自分自身のキャリアの持論にもなるのですが、やはりキャリアは自分が思うようにはいかない。富士通に入社して人事に配属されたのも青天の霹靂でしたし、三和総研でコンサルになったのもそうです。

当初の思惑では、大学院には経済学を学び直しにいったので、シンクタンクに入り、エコノミストへキャリアチェンジすることを考えていました。あの頃、シンクタンクの花形と言えばエコノミストだったんです。当時、新進気鋭のエコノミストとしてテレビの経済番組のキャスターとしても活躍していた嶋中雄二さんからご紹介いただけるというご縁もあって、三和総研にはとんとん拍子で採用されたのですが、僕が希望していた経済調査部門には募集がなかったのです。

ちょうどそのときに新設されたコンサル部門の担当者に「吉田君は企業の実務経験があるからコンサルタントにしよう、人事部にいたから人事のことわかるよね」と言われて、コンサルタントになったんです。

中島氏

吉田さんから人事のコンサルタントになったと聞いたときは、まだコンサルタントが珍しい時代でしたから、そういう仕事があるのかと異色な感じがしたのを覚えています。

吉田氏

そう考えると、僕は人事コンサルの草分け的な存在ですね(笑)

中島氏

そう思いますよ。吉田さんが人事コンサルタントになってから、コンサルタントにキャリアチェンジした富士通の人事出身者が増えましたからね。

吉田氏

たしかにそうかもしれません。でも、人事コンサルタントになったのは偶然ですからね。やはりキャリアは思い通りにいかない。プロとしてキャリアの話をするときは、「将来のキャリアを見据え、展望をもって計画しなくてはいけませんよ」と言いますが、実際は、キャリアってどうなるかわからないから、その都度、仮説検証を繰り返しながら積み上げていかなきゃダメだよねって思います(笑)。

中島氏

私は逆に、「こうありたい」というのが強くあって、それでキャリアを追っていったところがありますね。当然、偶然もあります。次のステップに行こうと思ったときに出会う会社は、たいてい偶然が結び付けてくれますから。

吉田氏

それは僕も一緒ですね。いろいろ迷っているタイミングで新たな出会いが生まれ、それがきっかけで、次のステップに進むことは多々あります。

中島氏

クラウンボルツのPlanned Happenstance Theory(プランド・ハップンスタンス・セオリー)ですよね。昔、経営研修所でお世話をしていた先生に、「普段から密かに牙を研いでおく必要がある」と言われたのですが、このセオリーを邦訳するなら、そういうことなのかなって思いました。偶然のチャンスをものにするために、密かに研いでおいた牙で捕まえる、みたいな感じですよね。

吉田氏

漫然と構えていたらチャンスはやって来ません。それは人事コンサルタントのキャリアも同じで、人事のコンセプトやテーマは時代の変遷と共に変わっていくので、その都度、変化に応じて短期間でキャッチアップしなくてはならないし、勉強していかなければいけない。

そういうことを繰り返しやり続けていく中で、人事コンサルタントのキャリアは積み上がっていきます。逆に、この領域が自分の専門だとこだわってしまったら、その領域のニーズがなくなってしまうと飯が食えなくなってしまう。そこをずっと忘れずに仕事をしています。

編集部

吉田さんが人事コンサルタントとして長らく走り続けていらっしゃる理由が見えた気がします。吉田さんのキャリアのなかでも、三和総研時代が一番長かったのですか?

吉田氏

はい。とは言っても、三和総研は親会社の都合で、三和総合研究所からUFJ総合研究所、三菱UFJリサーチ&コンサルティングと2度名称が変わりました。僕としては三和総研時代が一番いい時代だと思っています。先ほどの嶋中雄二さんや森永卓郎さんなど、面白い方が大勢いらっしゃいましたから。

中島氏

森永さんは、当時刺激的な発言をたくさんされていて、オピニオンリーダーでしたね。あの頃は、人でも物でも刺激的な存在がたくさん出てきていて、例えばリクルートの存在感が大きくなってきたのも同じ頃ですよね。人事の分野でいろいろな意見が出てきて、何か新しい発信をしようという風潮があったと思います。人事の仕事が、今までの労務管理から脱皮したのもそのころかもしれないですね。

私はその頃、外資系企業に所属していたのですが、外資系の人事では労務管理より人材マネジメントのほうが中心になるので、そういった刺激的な意見を聞きながら仕事をしていました。労務屋ではない新しいタイプの人事が出てきたのもその頃からだったと思います。

そういう意味では、われわれが新しい人事の先駆けであり、新しいタイプの人事がやっていることを肯定し、応援してくれたのが、吉田さんのようなコンサルタントの人たちでしたね。

吉田氏

僕は中島さんの言っていることはすべて正しいと思っていますから(笑)

中島氏

吉田さんが応援してくれるから、説得力があるわけです(笑)

「時代のテーマを追いかけながらキャリアを歩んできました」

編集部

今の流れ、阿吽の呼吸でスルスルと話されてましたね(笑)。お二人のお付き合いの深さがわかります(笑)。
中島さんは、富士通退社後どのようなキャリアを歩まれたのでしょうか。
中島さんの経歴は結構拝見する機会が多いのですが、見たところ、入社されると大変なミッションと向き合うことが多かったように思えます。

中島氏

そうなんです。最近あだ名がついたんですよ。「火中の栗を拾う男」と呼ばれるようになりました(笑)。

吉田氏

でも、そのあだ名は案外、当たっているんじゃないですか。「え、今度はそういう会社に行くの?」 みたいなことがけっこうありますしね。

中島氏

火中じゃないと思っていても、行ったら火事だったということもありましたけどね。ただ、これも偶然の出会いなのですが、行ったところで与えられる課題が、ちょうどこれから世の中の潮流となっていくようなテーマが多かったんですよ。

編集部

最先端の人事課題に、実務家として取り組まれてきたと。

中島氏

はい。最初にGMに行ったときは、職務評価や、職務型人事制度の構築に携わりました。そのときに一緒に仕事をしたのが、山本紳也さんです。その後に、職務主義、成果主義が導入される時代となっていきました。

その次のGAPでは非正規雇用の労務管理に取り組みました。いわゆるパート、アルバイトに対してアメリカ型の労務管理をどう取り入れるか、といったことに取り組んでいたのですが、ちょうどその後に、リクルートが「フリーター」といった呼称を作り、その働き方が注目されるようになりました。われわれが非正規の働き方の体系をまとめた後で、いろいろな企業が導入したことにより、非正規雇用率が上昇していったという背景があります。

その後に入社したシティ・グループでは「カービングアウト」といった事業分割の経験をし、その次のプルデンシャルでは合併、いわゆるPMI (Post Merger Integration)で3つの会社を1つに統合する仕事をするなかで、「日本の会社と外資の会社をどのように合わせていくか」といったことに取り組みました。

当時はPMIはあまり行われていませんでしたが、今では珍しくなくなりましたね。

編集部

まさしく人事の時代年表を追っているようなキャリアですよね。

中島氏

そうなんです。そして今のテーマはグローバル化です。
私は最終的にはグローバルの人事のヘッドをやりたいという想いがあったので前職の日本板硝子に移り、今もそのテーマを継続しています。日本板硝子時代に抱いた思いが、先ほど(※前編参照)も申し上げた「日本のメーカーをもう一度元気にしなくてはいけない」ということでした。それを実際にやる場として、いまこの場所に立っています。

本当に、キャリアを振り返ると、時代のテーマを追いかけながら歩んできましたね。だから吉田さんにその都度会って、わからないことや最前線の話を聞いてるんです(笑)。

吉田氏

僕も同じです。コンサルタントとして長く働いていく以上は、やはり最先端のテーマに対する知見をきちんと勉強して、その都度持たなくてはいけません。そのためには、最先端の現場で働いている彼からの意見も聞きたいわけです。「現場はどうなってる?」とね。

そこで意見交換する中で、何か相互に啓発しあえているところが、きっと僕と中島さんとの関係が長く続いているベースの部分だと思います。

中島氏

つい最近もありましたよね。人事制度で、1人の社員に職務グレードとコンピテンシーグレードの2種類のグレードがついていて、とても違和感をもったので会社に進言しようと思ったのですが、その前に裏を取ろうと吉田さんに聞いたんです。
「グレード2つってどうやって使うの? おかしくない?」と。

そうしたら吉田さんに「日本の会社ではよくあるよ」と言われまして。そこで少し怒りを収めたということがありました(笑)。

吉田氏

旧制度の名残が抜けず、要は職能と職務が併存しているといった日本企業は結構あります。職務が何となく合わず、その2つでバランスを取るかたちでやっているのでしょうが、そのうち限界がきますので、行く行くはコンセプトを変えて一本にしたほうがいいと思いますね。

中島氏

と、いうように、ここぞという時に話を聞いてみると、「あ、世の中そうなんだ」と思うわけです。

吉田氏

一応、これまで500件以上の案件をこなしてきた男ですからね(笑)

Episode 5 へつづく