事例 No.167 ロート製薬 特集 東北復興と企業人の学び
(企業と人材 2018年12月号)

経営幹部育成

記事の内容およびデータは掲載当時のものです。

震災直後に専任の復興支援室を設置し、
継続的に地域の社会課題に取り組むなかで、多くの学びを得る

ポイント

(1)東日本大震災直後に「震災復興支援室」を設置し、瓦礫の撤去などに200人近い社員ボランティアが参加。経営層も参加し、社会起業家らとの出会いから「活き活きと働くために必要なものは何か」について気づきを得る。

(2)漁師たちとゼロから信頼関係を築き、付加価値の高い牡蠣の養殖や販路開拓をサポート。経験を通じて、本業にも通じる「効率だけではない仕事のあり方」を学ぶ。

(3)CSV(Creating Shared Value)の観点から、自社の強みを活かして「健康な町づくり」に取り組む。町中をヒアリングして課題を探り、行政や地元NPOとともに、若い世代の健康意識を高めるイベントや学校の食育授業プログラムを手掛ける。

世の中を健康にするため、人がやらないことに挑戦する

目薬「V・ロート」、メンソレータムなどの一般用医薬品のほか、肌ラボやオバジなどの化粧品で知られるロート製薬株式会社。同社の歴史は、「人がやらない事をやる」という挑戦心をもつ先人たちによってつくられてきたという。
古くは 1931 年に、それまで別々だった目薬瓶と点眼器とを一体化させた容器「滴下式両口点眼瓶」を開発。1992 年には、妊娠検査薬「チェッカー」が一般用検査薬として日本で初めて認可されるなど、時代のニーズを先取りした商品を世に送り出してきた。近年は、「健康」をキーワードに、再生医療や食の分野にも進出。「統合ヘルス&ビューティーケア」企業へと進化しようとしている。
同社はまた、社会貢献活動に熱心な企業としても有名だ。中学・高校での薬育教育支援として、社員ボランティアによる出前授業や教材提供を行ったり、社員が毎月一定額を積み立て、それと同額を会社が拠出する「かるがも基金」で福祉・環境活動を支援するなど、地道な取り組みを続けている。
本稿では、2011 年の東日本大震災(以下、「震災」)発生直後から、同社が行ってきた社会貢献活動の概要を紹介するとともに、被災地でゼロから信頼関係を築き、地域の課題解決に取り組んだ 2 人の担当者のお話から、現地での学びや気づきについて考えてみたい。
なお同社は、社会貢献活動をCSV(Creating Shared Value:共通価値の創造)活動と位置づけており、「社会的課題の解決と経済的価値の向上を両立させる事業」としている。

震災直後に全社に呼びかけ、復興支援室が立ち上がる

震災直後の 2011 年 3 月 23 日、山田邦雄会長兼社長(以下、会長)から全社員に一斉メールが届いた。いままでと同じように活動していたのでは、本当の意味での社会的責任を果たすことができないのではないか。強い思いの伝わる文面で、現地に赴任し専任で復興支援を行うチームのメンバーを募集するものだった。
わずか数日の間に集まった数十人の応募者のなかから 6 人が選ばれ、「震災復興支援室」が設置されたのはその 1 週間後。上司に相談する時間もないくらいのスピード感だったという。活動資金は、全役員が報酬の1割を自主返上してあてることとなった。
当初の活動は、「ロートともだち作戦」と名づけられた社員ボランティア活動である。社内に呼びかけ、瓦礫の撤去などに計8回、200 人近い社員が参加した。山田会長も自ら現地に赴き、長靴に作業着の出で立ちで作業に汗を流したという。
広報・CSV 推進部の菊池容子さんは「早い時期に山田が現地に入ることで、社員に会社の本気度が伝わったと思います」としたうえで、次のように話す。
「被災地のためにと思って参加するわけですが、私たちにもたくさんの気づきがありました。泥かきをするのに社長も部長もないですし、部門の壁のようなことを言っている余裕もありません。本当に皆が 1 つになって作業に打ち込んでいるという感覚がありました。
丸一日、皆で一生懸命やっても、数十メートル分しか作業が進まない現実もあって、それもまた大きな学びになりました」
現地では、さまざまな人たちとの出会いもあった。ふだんの生活をしていたら接点のない社会起業家の人たちや、「会社を辞めて来ました」と明るく話す若者に出会った経験は、部長ら経営幹部層にとっても大きな気づきとなったという。
「彼らの純粋さだったり、だれかの役に立とうと活き活きしている様子などをみて、私たちも驚きましたが、会長や部長らも『社員が活き活きと働いていくために、本当に必要なものは何なのだろうか』と見つめ直すようになったそうです」(菊池さん)
瓦礫撤去などと並行して、復興支援室のメンバーは、現地をまわって情報を収集。短期・中期・長期の 3 つの時間軸で具体策を検討し、活動を開始した。
短期的には、前述したように社員ボランティアの動員である。家庭の事情などで行けない人に対しても、社内で報告会を開催し、現地の状況を伝えて、関心をもってもらうようにしたという。
中期的には、地元のドラッグストアが、医薬品だけでなく食料、飲料など生活のインフラとして機能していることに着目。仮設店舗オープンの支援を行ったり、福島のドラッグストアと共同で、当時、外遊びが懸念されていた子どもたちを栃木県に招待して運動会を行うなど、ドラッグストアを基点とした取り組みを企画していった。運動会イベントでも、数十人の社員ボランティアが当日の運営サポートに入ったそうだ。
そして、長期的な支援策としてあげられるのが、震災遺児のための「みちのく未来基金」である。この基金は、震災によって両親もしくはどちらかの親を亡くした子どもたちに対し、大学・短大・専門学校の学費等を返済不要で支援する(年内上限 300万円)というもの。2011 年 10 月に、同社とカゴメ株式会社、カルビー株式会社の 3 社で設立し、現在はエバラ食品工業株式会社を含めた 4 社で運営されている。
当時、地元の学校の多くは避難所になっていた。復興支援室が支援活動にまわるなかで、学校の先生方と信頼関係ができ、どんな課題があるのか話をしてもらえるようになったのだという。そこから「高校卒業までは行政などの支援があるが、その後の進学に対する支援は少ない」という課題がみえてきて、それが基金設立の種となった。
みちのく未来基金の最大の特徴は「子どもたちの夢の実現を応援する」という趣旨から、一律の給付ではなく、一人ひとりの進学先に応じて必要な額を支援する点だ。対象者は全員が支援を受けられ、返済の必要がない。また、社員による積立制度も実施されている。
「子どもたち=次世代への支援」は復興支援室発足時のミッションでもあった。そこには、山田会長の強い思いがあったという。
「当社は大阪に本社があり、阪神・淡路大震災を経験しています。そのときは自社のことで手一杯で、地域に十分な貢献を果たすことができませんでした。また、被災地域を長期的にみたとき、ハード面での復興が進んでも、これからの未来を担っていく子どもたちへの支援が本当に必要なことだった。山田には、そのことがずっと心にあったようです」(菊池さん)
その後も、同社の支援活動は、取り組みの重心を CSV 活動に移しながら、続けられていく。

道路の排水溝の泥かきをする同社の社員ボランティアたち

▲道路の排水溝の泥かきをする同社の社員ボランティアたち

ビジネスの経験を活かし漁業再生に取り組む

それまで営業畑でキャリアを積んできた、広域営業部リーダーの佐藤功行さんが、復興支援室のスタッフとして東北に赴いたのは2012 年 5 月、震災から 1 年余りが過ぎたころのことだった。
震災当時、佐藤さんは、復興支援室のメンバー募集にも手をあげていたが、そのときは異動はなかった。
「それまでの自分は、ボランティアの経験もなければ、社会貢献の意識も薄い人間でした。営業担当として、いかに数字を達成し、効率的に仕事を終わらせるか。そればかり考えていたように思います。
でも、さすがにあのニュース映像を見たときは、心が揺さぶられました。当時はまだ自分の子どもが小さかったこともあり、津波で街が流されたりしているのを見て、子をもつ親としても何かできないかと思いました」(佐藤さん)
それでも、現地のボランティアにも参加し、自分なりに気持ちの整理もついていた。日々の生活にも平穏が戻ってきたころ、思いがけず東北への赴任を命じられた。突然の辞令に驚いたが、「とりあえず 1 年」の約束で、単身、東北に乗り込んだという。
現地では決められた業務が用意されていたわけではなく、自ら地域をまわって取り組むべきテーマを探し歩くというミッションが与えられた。いくつかの試行錯誤を続けるなか、宮城県石巻市の雄勝町で復興支援を行っていた立花貴氏との出会いから、壊滅的な被害を受けた雄勝町の漁業再生支援に取り組むことになった。
「もともと少子高齢化や過疎化が進んでいたところに、震災と津波で一次産業が大打撃を受けてしまった。でも、少子高齢化も後継者不足も、日本全国どの地方も共通に抱える社会的課題です。ここで大切な食を守り、人を育て、産業を活性化させていくことができれば、雄勝が先進モデルになるのではないかと思いました」(佐藤さん)
佐藤さんがまず取り組んだのは、漁師さんたちとの信頼関係づくりだった。
「当時は、震災から 1 年が過ぎたころで、ある程度復旧が進んだこともあって、支援に来ていた企業がどんどん撤退していった時期でした。現地の人たちの間では、企業に対する不信感も高まっていたのです。立花さんの紹介で入っていったとはいえ、最初は『製薬会社の人間が何をしにきたんだ』という空気に満ちていました。実際、船に乗ってもほとんど役に立ちませんでしたし(笑)」(佐藤さん)
最初は口も聞いてもらえなかった。ならば、自分から飛び込んでいくしかない。最初につくった名刺の肩書きは「漁師見習い補佐」。何でもやる覚悟を決めた。
漁師の家に住み込ませてもらい、寝食を共にして、朝の 3、4時からの水揚げに参加。片付けを終えると加工作業を手伝い、午後には仙台の中心地に行って、販路の確保に勤しんだ。夜の 7 時か 8時ころに雄勝に戻り、食事と入浴を手早く済ませて就寝。翌日はまた早朝から水揚げに参加。そんな生活が数カ月間続いたという。
「とにかく、それまでの効率重視のやり方が、まったく通用しない世界でした。ずっと一緒にいて、ひたすら話を聞いて、自分のできることを探す。手書きだった顧客名簿をエクセルに入力したりとか。そうやって一歩一歩、信頼関係を築いていきました。ロートの看板と商品で売り込みができるわけではなく、むしろそれが邪魔をする。お前は個人として本気で向き合っているのかと問われている感じでした」(佐藤さん)
その一方で、佐藤さんは、ビジネスの経験を活かし、新たな販路の開拓や商品開発の企画を進めていった。
三陸海岸は牡蠣の名産地。雄勝湾は牡蠣の自然産卵場であり、地元の漁師には牡蠣の人口種苗を買ってくるという発想がなかった。また、魚介類は1kg 当たりいくらで売買されるため、牡蠣もとにかく大きく育てようとしがちだったという。
しかし、仙台の飲食店や専門店で話を聞くと、むしろ殻が小さくカップが深い牡蠣のほうがニーズが高いことがわかった。実際にそのような牡蠣であれば、それまでの数倍の価格で取引してもらえることも判明した。そうした販売先のニーズを示すことで、漁師たちの意識も少しずつ変わっていったという。
続いて佐藤さんは、それを実現する技術を探してきた。大分県にあるヤンマー株式会社の水産研究開発施設マリンファームに、漁師たちを何とか口説いて視察に連れていった。人工種苗から 1 年半で出荷できる小さな牡蠣の養殖技術に、皆驚いたという。当初は懐疑的だった漁師たちの間でもブランディング意識が高まり、積極的に新しいチャレンジに挑む者が増えていった。結果的に、それまで 3年かけて育てていた牡蠣を 1 年半で出荷できるようになり、かつ販売価格も引き上げられたため、収益性が飛躍的に向上した。
さらに、生産者と消費者が直接つながるコミュニティ「雄勝そだての住人」もスタートし、会員への直接販売のほか、会員を招いて漁業体験や浜焼きを楽しむイベントを開催するまでになった。

雄勝町での漁業支援の様子

▲雄勝町での漁業支援の様子

効率だけではうまくいかない 東北での経験で学んだもの

こうした取り組みを進めていくと、佐藤さんの任期は「とりあえず 1 年」では終わらず、約 4 年間従事することになった。復興支援室の室長を任され、みちのく未来基金をはじめ、幅広い活動を総合的にみるようになった。2013 年 の 春 か ら は、 の ち にMORIUMIUS となる、雄勝町の廃校再利用プロジェクトにもかかわることになる。
佐藤さんは建物の取得交渉や改修資金集めに携わるとともに、社内に呼びかけ、建物の改修ボランティアを募った。ここでも、延べ200 人の社員が建物内の土砂を運び出すなどの活動に従事した。
「夕食時には現地でとれた魚やお野菜をいただきながら、地元の方に震災の時のお話をうかがったり、帰り際にまだ震災の爪痕が残る場所をまわって、雄勝の現状をみてもらったりして、できるだけ多くの社員に関心をもってもらうようにしていました」(佐藤さん)
佐藤さんは 2016 年 4 月に異動となり東京に戻ったが、その後も情報発信を続けている。まだ東北にいったことのない人も含めて、さらに多くの人を巻き込んでいきたいと考えているという。
復興支援室での経験で得たものについて、佐藤さんは次のように語ってくれた。
「人間性はかなり変わったと、自分でも思いますね。効率だけではうまくいかないというのが、自分たちの本業のビジネスにもあてはまることに気づいたというか。
私はいまドラッグストア向けの営業を担当していますが、ドラッグストアのビジネスはどんどん変わってきているので、本当に 5 年後にはいまのセオリーが通用しなくなるだろうなという気がします。そうなると、やはり効率だけでなく、動き続けて、ぶつかって壊れて、また新しいものを生み出していくというような経験をしていくことや、直接には関係がなさそうなネットワークを広げていくことが、この先きっと役に立つだろうという気はしています。
それと、社会貢献活動に対する意識は、自分でも驚くほど変わりました。子どもたちの世代や孫たちの世代のために何を残せるだろうかという視点で考えて、活動するようにもなっています」
佐藤さんは現在、同社の「社外チャレンジワーク制度」を使い、兼業で、北海道十勝の林業の活性化をめざす株式会社 BATON+ の取締役も務めているそうだ。

動きながら考える経験を求めて地域連携室へ

震災復興支援室は、その後、復興ステージに合わせて徐々に取組内容を変え、その名称も変えてきた。現在は、東北被災地だけでなく、全国の地域に共通するような課題に対して、自社の強みを活かして貢献するという趣旨から「地域連携室」となっている。
現在も仙台に勤務する、広報・CSV 推進部地域連携室の阿部真さんが赴任したのは 2015 年。自らの希望だった。兵庫県姫路市の出身で、阪神・淡路大震災から復興していく神戸の街を横で見ながら育ったという。東日本大震災が起こったのは入社1年目のことだった。
「入社 5 年目になり、三重県の工場で人事を担当していました。ちょうど労働契約法が改正され、組織や雇用の形態をつくり直す時期でした。そのなかで考えてしまったんです。イノベーションが必要といわれる一方で、生産の現場では決められた作業をきっちりとこなすことが求められる。1つの組織のなかで、創造性を発揮することと生産性を高めることはどのように両立できるのだろうかと。
そのときに、頭で考えて答えが出るほど経験もないし、もっと身体を使って、動きながら考える経験が必要なんじゃないかって思ったんです。そんなときに、地域連携室で新プロジェクトのメンバー募集があったのです。
東北にはそれまでにもボランティアで行ったり、新入社員研修をモリウミアスで実施したりとつながりはありましたが、自分がもう一段成長するために挑戦してみたいという気持ちが強かったと思います」(阿部さん)
「ロートには自分で手をあげる文化があるんです。ビジョンシート(自己申告書)やランクアップなども、まず手をあげるところからです。そういう意味で、仙台に赴任するのは、もっと成長するためにはどうしたらいいか、違う環境にチャレンジしてみたいなど、モヤモヤしている社員が多いかもしれません(笑)」(佐藤さん)
プロジェクトのテーマは、「宮城県女川町の健康な町づくり」だった。このころには建物などハード面の復興はほぼ見通しがつき、支援の軸足は教育や健康などソフト面に移りつつあった。女川 町は「復興のトップランナー」と 呼ばれるほど、復興スピードが早かった一方で、住民の健康に大きな課題を抱えていた。町民のメタボリックシンドローム該当者割合や子どもたちの肥満率が、全国平均と比べて圧倒的に高いのだ。
「女川町のことはまったく知りませんでした。まず、どこに課題があるのかを探るため、最初の3、4カ月はひたすら町を歩きまわりました。仮設住宅を訪ねたり、コミュニティのイベントやボランティアツアーに参加したりして、とにかくいろいろな人から話を聞くようにしました。
この町がどのように発展してきたのか、町の人がこれから何を大切にしていこうとしているのか。信頼を築きながら、自社のリソースで何ができるかを模索していました」(阿部さん)
遠洋漁業の基地として発展した女川町では、久しぶりに陸に上がった漁師たちにご馳走をふるまう風習があり、「ふるまい文化」が根づいていた。そのため、量が多く、高タンパク・高カロリーに偏りがちな食文化だった。そこに震災が起こり、不自由な生活が続いたため、ますます栄養バランスが崩れてしまっていた。
「高齢化が進むなかで、住民の健康は、これからの町づくりの重要な課題です。何より問題は、バランスの悪い食事や生活習慣によって、子どもたちの健康に影響が及ぶことでした」(阿部さん)

ゼロから周囲を巻き込み、地域の健康問題に挑む

そこで、2015 年 12 月に地元のNPO 法人アスヘノキボウとともに、女川町役場に働きかけ、問題意識を共有。翌 2016 年 6 月には、女川町、NPO 法人アスヘノキボウ、ロート製薬の三者で連携協定を結び、健康な町づくりに向けた取り組みが開始された。
女川町の担当職員も、従来から町民の健康づくりを課題として認識し、対策を講じていた。しかし、実際にアプローチできていたのは、町民全体の 36%に過ぎない国民健康保険加入者のうちの、およそ半分の健康診断受診者だけに留まっていた。
「要するに、それまでの行政の対策は、病気がみつかったら治療するというもの。しかし、病気の原因は若いころからの生活習慣が大きく、根本に目を向けずに健診結果が悪い人を対象にするという構造になっていたのです。町全体として考えれば、若い世代にアプローチして、健康意識を高める必要があったのですが、そこができていなかった」(阿部さん)

女川町で健康への意識啓発セミナーを開催

▲女川町で健康への意識啓発セミナーを開催

そこで阿部さんは、町の商工会や産業団体をまわって、若い世代に健康について考えてもらうきっかけを職場からつくるために、健康経営の重要性について認識してもらうための取り組みを行っていった。健康セミナーを開催して意識喚起するほか、経済産業省の「健康経営優良法人(中小規模法人部門)」の認定基準を指標として、各企業ごとに健康増進の取り組みを進めてもらうなどの工夫をしてきた。個人事業主も多いため、町内に会場を設けて「10 分身体チェック」を実施し、その場で保健指導を行う施策も行っている。
他方、子どもたちに対しては、行政を通じて学校で食育授業を実施。より子どもたちの興味を引きつけられるような授業のコンテンツづくりを支援している。また、保育所に子どもを迎えにきたお母さんを対象に、10 分程度のミニセミナーを開催するなどしている。
さらに、町内の飲食店を回って、消費カロリーを示したウォーキングコースのマップや、「揚げ物を焼き物に変えるだけでカロリーが落ちる」といったダイエットのコツが書かれたポップを置いてもらう活動なども行っている。

テーマ毎に複数企業の事例を紹介。企業研修のプランニングに役立つ情報を掲載『企業と人材』

出会った多くの人が阿部さんらの取り組みを好意的に受け止めてくれており、地域の人を巻き込んでやれることは、まだまだあると感じているという。
「東北に来て 3 年、自分から動いてその場に行き、人と話をして、皆で一緒に考えていく。『場に触れる』ことの大切さを実感しています。イノベーションか生産性かということも、それぞれの価値観に本当に触れることなしには議論の土台に立てないんじゃないか、そう考えるようになりました。そういう意味で、もっと外に出ていって、異なる価値観に触れることが大事だし、自分一人ではなく皆で考えていくことが大切だと思っています。
女川町の人口は約 6,500 人。ビジネスとして考えたら、大きなマーケットボリュームではありません。でも、そういう規模の自治体が日本全国にどのくらいあるか。そう考えると、その地域の課題や経済の力学を理解しておかないと、将来的にビジネスが難しくなる部分は絶対あるだろうと思います。
そういう効率性からいったん離れて考えるようなことも、女川に来ていなければできなかったことかもしれません」(阿部さん)
同社には、佐藤さんや阿部さんのように地域連携室の勤務を経験していなくても、ボランティアへの参加などがきっかけで継続的に現地を訪れている社員も少なくない。東北での学びが、同社の社内にもよい影響を与えていくことを期待したい。

(取材・文/瀬戸友子)


 

▼ 会社概要

社名 ロート製薬株式会社
本社 大阪府大阪市
設立 1949年9月(創業1899年2月)
資本金 64億1,500万円(2018年3月期現在)
売上高 968億8,000万円(2018年3月期)
従業員数 1,400人(2018年3月期)
平均年齢 40.3歳
平均勤続年数 12.6年
事業内容 医薬品・化粧品・機能性食品等の製造販売
URL https://www.rohto.co.jp/

広報・CSV推進部
地域連携室
阿部 真さん(左)

広報・CSV推進部
菊池容子さん(中)

広域営業部
リーダー
佐藤功行さん(右)


 

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