医師と看護師の連携強化への提唱

医療

病院経営・管理
医師と看護師の連携強化への提唱

■福崎 恒/多羅尾美智代・共著
■四六判・274頁
■本体価格 1,800円
■ISBN 978-4-87913-998-6 C3047
■発行日 2007年9月

はじめに

第一部 まえがき

医療スタッフの総合的能力の向上を

戦後六〇年を経たことになるが、その間にわが国の医療が、進んで科学技術を取り入れ、飛躍的な発展を遂げてきたことには、誰も異論を差し挟まないだろう。その各種疾病の治療と予防に果たした功績は高く評価されるところであり、男女とも平均寿命が世界の第一位を占めていることも、その成果を示すものといえる。
さて、それでは、現在の医療は患者とその家族、さらに広く社会に対し満足を与え、信頼をかちえたといえるだろうか。現在の医療の評価は、確かに技術的な面では世界でも高い水準に達しているといえる。ただし、国民の死因の首位を占めるがんの治療、とりわけ放射線療法と抗がん剤による化学療法においては、欧米先進国に較べかなりの遅れをとっていることは認めざるをえず、すべての専門分野を網羅して高い水準を維持しているとはいえないことに留意すべきである。
医療は技術面のみで、その全体の評価が決まるのではなく、医療の原点ともいうべき病める者(患者)の心身の苦悩を癒すことが求められていることを忘れてはならない。
現在の医療は、前者についてはほぼ許容レベルに達しているが、後者については許容レベルに達するまでに、いまだかなりの距離を残しているといえる。最近、医療に対する患者、家族、社会から寄せられる不満や不信を訴える報道が多発しているが、そのかなりの部分が、前記のうち後者に関連するもので占められていることは注目に値するところである。
わが国の医療問題として、もう一つの大きくかつ基本的なものとして、財政問題がある。戦後の恵まれた経済成長の波に乗って、医療技術の飛躍的進歩があり、さらに健康保険制度の充実により国民皆保険の達成まで成し遂げたことは、世界に誇りうることだといえる。高齢化の高度かつ迅速な進展と医療技術の高度化は、国民総医療費の高騰を招き、経済成長をもってしても到底それを補うことは困難となり、これまでどおりの国民皆保険の続行ははなはだ危ぶまれる状況にあるといえる。
以上述べてきた点をまとめると、わが国の医療は、多くの面で改革を必要とする事態を迎えており、直ちに医療の再構築に着手することが要望されているといえる。そのような現状を踏まえて医療の再構築の構想を練るに際しては、これまでのように医療の財政面と技術面に固執することなく、〝医療スタッフの総合的な能力の向上に焦点をあてること.を提唱したい。
特に「医師と看護師の連携の強化」に主眼点を置き、患者にとって良質の医療の実現を目指すことを提案したい。その構想は、医療の原点に忠実に、患者中心の医療を目指そうとするもので、従来の多くが医療の財政面、施設面、装備面、技術面などを主たる対象にしてきたのと異なり、医療スタッフに焦点を定め、医療のあり方を抜本的に改革しようとする点で、これまでと較べ画期的で新鮮味のあるものといえるだろう。

医師と看護師のチーム医療に注目

医療が科学技術の導入により、中央検査システムが広く採用されるようになったのを機に、診療のスタイルは一変したといえる。
戦前、戦中から戦後かなりの期間までは、問診と素朴な診察に簡単な臨床検査を加えた診療スタイルが続けられてきたことを思えば、まさに今昔の感に堪えないものであったといえる。このような診療スタイルの変貌は、医療技術の発展を示すもので、多くのメリットをもたらしたが、反面失ったものも決して少なくはなかった。失ったもののうち最も大きいものは、患者と医師の対話の時間が減り、両者の交流が希薄となったことである。
そのことも含め、現在の医療の抱える問題点について考えると、医療再構築の方向が見えてくるだろう。そのなかで、特に医療スタッフの活動面に焦点を絞ると、チーム医療の充実に目がとまるだろう。次いで、最も基本的なチーム医療として「医師と看護師のチーム医療」に注目が集まるだろう。それは、「医師と看護師の連携」を意味すると考えてよいだろう。
本稿では「医師と看護師のチーム医療」と「医師と看護師の連携」を同義語として扱うことを了承していただきたい。
以下の本文では、本稿の主題である「医師と看護師の連携」について、その重視される理由、それに期待される効果、その医療現場における現状、それを阻害する要因、それを推進する具体策などについて述べ、さらに筆者自身の患者としての入院体験に基づく考察を加えたいと思う。
医師と看護師の連携強化を提唱することのさらに背後に目を向けると、現在の医療の抱える問題が横たわっているのに気づくだろう。そして、それと関連して、これからの医療再構築の方途が見えてくるだろう。この両項目は、もっと手前で述べたほうがよいとも考えたが、本稿の第一の趣旨は「医師と看護師の連携強化」にあるため、読者が煩雑さに悩むことなく、円滑な理解を促すことを意図して、あえて最後にもってくることにした。
しかし、その両項目にそれぞれ該当するこの二つの章は、現在から未来にかけてのわが国の医療を考えるに際し重要な意味をもつとともに、筆者の目を医師と看護師の連携強化に向けさせる根拠となったことでもあるため、ぜひ読み進めてもらいたいと願っている。

第二部 まえがき

医師と看護師の連携強化で、「患者中心の医療」を!

私が、福﨑 恒先生と親しくお付き合いができるようになったのは平成五年(一九九三年)のことです。福﨑 先生が、三木市立三木市民病院(兵庫県)の院長として赴任されて二年目でした。私はその年の四月に、看護部長の辞令を受け、その後六年間、地域の中核病院で福﨑 先生と一緒に仕事をしてきたことになります。
「一緒に…」というより、この間に、私は、福﨑先生から多大な影響を受けながら、私自身の「人生観・医療観・看護観」を確立させたことになります。この出会いがなければ、今の私はないと言ってもよいでしょう。
当時私は、福﨑先生が「特別に優れた院長」という認識はありませんでした。病院長になる人は、全員が、人間的にも優れ、患者さんのための医療を真剣に考え、優れたコミュニケーションがとれ、良識あるリーダーシップがとれる人だと思っていたのです。だからこそ院長職に就いていると思っていたのです。
ところが、現役を離れ、他施設の看護管理者と出会う機会が増え、現場での悩みや苦労を聞くにつれ、福﨑先生がいかに「特別に優れた院長」であったかを認識することになりました。優れたリーダーのもとで仕事ができた私は、「本当に恵まれていたんだな」と気がついたのもつい最近のことです。
時には厳しく叱られ、時には励まされ、時には「それでいいよ」と認められながら、「医療人とはこうあらねばならない」「リーダーはこうあるべきだ」というお手本を示し、一人前の看護部長として育ててもらったことになります。
福﨑先生は、まさに、私にとっての「医療の師」であり、「人生の師」であり、「偉大なるコーチ」でもありました。三木市民病院の院長を引かれた後は、三木市福祉公社の理事長を勤められ、完全に現場を退任された後も、時々は自宅にお招きを受け、医療のこと、看護のことを語り合う同志としてのお付き合いが続いていました。
二〇〇六年二月に体調を崩され、一カ月余り入院生活を送られました。その後、医師の立場で、患者の立場で、看護部長を育てた立場で、〝医療界への提言.として、「医師と看護師の連携強化」を出版される予定で執筆中でした。ところが、同年八月、食道がんに侵され、あっけなく他界されたのです。
生前、「君との〝共著.という形で出さないか? 」と言われていたこともあり、パソコンの中に打ち込まれていた原稿を取り出し、遺稿になってしまった福﨑恒先生の「医療界への提言」を第1部にまとめました。第2部には、福﨑先生と共に「医師と看護師連携強化」の仕組みを作ってきた過程と、看護の力量アップの必要性、三木市立三木市民病院での取り組みを紹介します。ご意見・ご批評をいただければ幸いです。

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