『序文』
産労総合研究所の窪倉憲子病院経営編集長から同研究所の発行している情報誌「病院経営」誌に偕行会の経営・運営戦略を掲載してみないかというお誘いを受けたのは二〇〇五年の秋であった。二〇〇三年、二〇〇四年の二年間にわたって当法人は名古屋学院大学の社会人大学院でニカ月の集中講座(医療学)を担当していたが、受講生がわずか数名程度であったため辞退をした直後のことである。
その講座も当法人の幹部の中で分担講義としたので「病院経営」誌にも分担執筆の形をとらせていただいた。寄稿した執筆者たちはもとより古参幹部もいるが入社後数年以内の者もいる。新しい幹部たちの寄稿を読むと、よく短期間に当法人の精神を吸収してくれたものという感動がこみ上げてくる。わずか二十余年の当法人の歩みの成果と教訓を一つの区切りとしてまとめておくのは意義深いものと思うし、当法人は可能な限りの透明性を重視してきたので、これをまとめて世に出してご批判をいただこうと考えるに至ったのは当然の理である。そのため「病院経営」に収蔵しなかった補足分も今回は加えさせていただいた。
この序文を書いているのは二〇〇六年の年末であるが、二〇〇六年の四月の医療費改定によりすでに日本の医療は大きな変動をみせているので、偕行会もすでにここでまとめた内容とは異なった変化を起こしていることをお断りしておきたい。偕行会は常に変革している組織なのである。
今年度は七対一看護取得・DPC導入・地域医療支援病院の認可という俗にいう新三点セットを成就した意義のある年となった。またこの厳しい医療情勢の中で、今年度は約一〇%の利益を計上できる見通しも立った。そのため巷間では偕行会は勝ち組と噂されるようになったが、筆者にはそのような心の余裕はない。
基本的にいえば、わが国は国家財政が破綻している国であり、それでも社会保障は一般会計の四〇%(医療費は約一〇%)を占めているので、財政再建の道程では、必ず社会保障費の抑制が起こってくるからである。すでに二〇〇七度よけ医療制度改革は高齢者医療を含んで始まっている。しかし医療情勢の変化だけが不安の材料ではない。医療は知的労働産業であの医療機関の質はそこに集う人材の質によって律速される。その点では公的医療機関は大学による医師派遣によけ安定した人材供給を受けていたが、今日では地方都市の自治体病院に見られる勤務医の流出により、病院機能の悪化が日常的にみられるようになったことからもうかがえるように、公的病院さえも苦悩している昨今なので、民間病院はさらに厳しい状況が待ち構えていよう。
筆者の不安はそこにある。今日、日本の病院医療は勤務医の立ち去り、サボタージュにより危機的状況にある。医師養成にしても四〇%近くが女性医師であるが、女性医師が生涯をかけて日本の医療で活躍するための社会資本の整備はほとんど進んでいない。加えて七対一看護が導入されて以来、未曾有の肴護師不足である。この深刻な医療実態への対応を誤ればたちまち奈落の底に落ちることになろう。もとよりこれは偕行会のみに課せられた困難ではない。日本におけるすべての病院の抱える困難なのである。
当法人の中核である名古屋共立病院は経営の最も困難な中小病院であるが、名古屋市という愛知県最大の都市に存在するのがわずかの救いである。ある著名な地方都市の病院の院長の言われた「県庁所在地以外はみな僻地」という言葉が筆者の耳から離れない。いかなる医療状況が日本に出現しようともこの状況を克服していくためには「自己改革」しかないと考えている。自己改革マインドを偕行会の職員たちが強く持ってくれることが次の課題へ進む重要なステップとなる。組織は集団の智恵で改革されるが、それに伴って個人の自己変革は進むとは限らないのである。最後に偕行会の経営・運営戦略というテーマをいただき、公表の機会を与えていただいた窪倉憲子編集長に心から感謝を申しあげたい。
医療法人偕行会 理事長 川原弘久 |