はじめに
新人看護師を受け入れる立場の人間としては、伝えたいことがかぎりなくあります。「ああしてほしい,こうしてほしい」あるいは、「ああするな、こうするな」もかぎりなくあります。けれども、伝え方によっては「馬耳東風」になりかねません。どうしたら少しでも皆さんの心に届くだろうかと考えます。
皆さんは、看護を仕事とするために学校で学んできていますから看護以外のこと、学校ではあまり習わなかった、でも職場ではしっかり身につけてもらいたいもの、組織人として、常識として知っておかなければならないことを伝えることになります。でも、あまり面白いものではないのですね、これが!
それを少しでも面白く読める、興味を引くように、できるだけ事例を入れ、話し言葉として柔らかくしてみました。筆者の個人的な事例も箸休めとして挿入しました。また、看護師の就業先としては病院がほとんどですから、病院組織を前提としていますし、筆者の個人的な経験や考え方で書いてもいます。ですから、これこそ絶対だとか、正しい、などということはないのです。批判的な目で読みつつ、参考にしてください。
また、就業前に読んでも実感が湧かず、記憶に残り難いこともあります。ですから、逆に就業後折りを見て読み返す、それも最初からのページを繰らなくても、項目をみていろいろなページから読んで確認する方法もいいのではないかと思っています。
配置部署
皆さんが働くことに決めた病院、その選択基準は何でしょう。自宅に近いから、実習病院で気心が知れているから、地域の信頼を得ている病院だから、高度最先端医療を実践しているから、卒後教育が充実しているから、お給料がいいから、などいろいろだと思います。
さて、働く病院は決まった。そのあとは、その病院のどの部署で働くか、ということが気になってきます。働く病院は自分の意志である程度決められます(採用試験に合格する前提で)が、どの部署に配置されるかは、その病院の考え方によってかなり違ってきます。可能な限り個人の意思を入れた配置とするか、卒後3年目くらいまでは意思に関係なく配置するか、などです。
私の病院では、個人の意思を最大限尊重することにしています。とはいっても限界があります。第三番目までの希望を提示してもらって、その中から配置を決めるのですが、それも100%ではありません。希望先が重なってしまったとか、逆に誰も希望しない部署があるとか、いろいろな問題があります。ですから、希望しなかった部署に配置になってしまう人もいます。
その時、「ま、いいか」と思える人と、何が何でも泣いて嫌がる人とがいます。
泣いて嫌がるからといって、では配置先を替える、ということはまずあり得ません。そして、1年たち、その嫌がった人が最初の希望先に異動を希望するかというと、そうはしないのです。逆に、ずっとその部署を気に入って動きたがらないものです。希望どおりに配属された人の中から、「こんな筈ではなかった」ということもあります。イメージしたことと現実のギャップを大きく感じすぎてしまう場合です。
そんなことから、まだほとんど何も分からないうちから希望を聞いても仕方ないのではないだろうか、という気にもなります。でも、少しでも「意思する」看護師であってほしいと願っていますから、希望を大事にしていこうと思っています。しかし、やはり組織の必要が優先します。それとどこで折り合いをつけるかです。折り合いがつかなければ組織を去らざるを得ませんが、どんな組織であっても、組織に所属する以上、何もかも自分の思いどおりになるものではありません。自明の理です。
目標・初心
「自明の理」だからといって何も考えない、どんなことでも唯い々い諾だく々だくと受け入れてしまう看護師、これまた恐ろしいことです。受け入れていいことと、受け入れてはならないこととがあります。それは、個々人の価値観によって違ってきます。ですから、これこれ、という線引きはできません。
さて、この組織で社会人1年目を送るあなたの「目標」は何でしょうか。あるいは「初心」は何でしょうか。ホカホカの今、それを日記に、手帳に書いておくといいですね。最初の3カ月は、業務に翻弄されます。なぜ看護師になったのだろうと疑問に思うかもしれません。あるいは、ただ疲れているだけの自分を自覚するかもしれません。そんな時「目標」、「初心」のページを開いてみると、希望に燃えた最初の自分を思い出すことができます。そして「よし!オンリーワンの看護師を目指して頑張るぞ〜」と、力も湧いてきます。
看護師としてスタートを切る今、目標・初心を明確にして、このオリエンテーションプログラムに入っていきましょう。
私の職場選択
私は、皆さんが生まれてもいない時代に看護師になりました。新人当時はまだ日本にはほとんどなかったICUという部署に希望どおり配置されました。なぜ、ICUか? 患者の命を助けられない看護師にはなりたくないという思いがありましたので、まず技術を学ぼうと思いました。わずか1年でしたが、家庭の事情で実家に帰らざるを得なくなり、泣く泣く田舎に帰りました。
失敗もいっぱいしたはずですが、楽しい1年でした。もちろん、夜勤明けで寝ていて、ふと目覚めると、光あふれる真昼間です。一瞬、「こんな昼間から寝ている私は何? どうしよう!」と、どっと冷や汗です。やおら「そうだ、夜勤だった」と納得するのですが、動悸がしばらく治まりません。あるいは、ベッドに入る時、聞こえるはずのないモニター音が耳に響きますし、眠っていてもモニター音が聞こえていました。でも、やる気満々でした。
帰郷した私は、200床くらいの自宅近くの小さな病院の産婦人科を含む混合病棟に配置されました。職場を特に希望しませんでしたし、聞かれもしなかったと思いますが、心の中で産婦人科は嫌だなあと思っていました。唯一テストで赤点をとった科目だったという理由です。でも、ここでの臨床経験は、その後、現在の組織で管理者の立場になった時に活きました。
産科はほとんど助産師の領域です。しかも助産師は産科以外に職場を動くことは滅多にありません。どうしても井の中の蛙になってしまいがちですし、特殊意識が強くなります。
でも、私には業務内容が理解できましたし、ICUでの経験から重症患者をケアできるという自信がありました。ですから、腰が引けないでいろいろなことに対処できる強みになりました。長い看護師経験からいえることは、どんな部署も、どんな体験も、看護師としてキャリアを重ねていく時、結果として必ず活きる、ということです。"
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