分岐点
(私のターニングポイント)
遠山陽一 さいたまゴールド・シアター 俳優


update:2014.02.28

この記事は「企業と人材」2013年11月号に掲載されました。

2006(平成18)年

 バンザイ、妻と二人でとびあがりながら三唱した。自分のために万歳を叫んだのはこれが初めてでした。さいたまゴールド・シアター入団の合格通知でした。
 蜷川幸雄さんが55歳以上の高齢者の劇団をつくるという新聞広告を見て、受けてみたらと妻にすすめられて応募したのです。妻は私が演劇の道へ進みたかったのに経済的にできなくて、中学卒業と同時に就職して定時制高校に通い、そこでの演劇部活動が演劇に関わった最後だったのを覚えていたのです。息子も、「お父さんが落ちるようでは誰も合格しないよ」と言ってくれました。私が市会議員選挙で候補者の応援演説を街頭でしたり、横田基地の公害訴訟での裁判所で意見陳述をしたこと、また三多摩高等学校弁論大会で優勝したことも頭にあったのだと思います。
 大手電機メーカーに44年勤続しました。役職への昇進の誘いもありましたが、私の信念を捨てることが条件だったので断り、定年までひらの現場労働者でした。仕事に誇りがありました。正確に早く製品を作る。最終工程で検査、試験を行い規格に合ったものを自信をもって出荷しました。国家検定一級技能士の資格もとり、職場の仲間とも仲良く、楽しい44年でした。在職中から地域の活動にも積極的に参加し、町会役員、老人会の役員、青少年育成委員会の委員長もつとめました。しかし、ゴールド・シアターに入ったのを機にこうした役員を辞めました。舞台は片手間ではつとまらないし、若い頃からの夢が実現したのですから。
 1,200人を越える入団希望者のなかから48人が合格したそのなかに、私が入ったことだけでもすごいことです。70 歳で、全身でぶつかることができることを手に入れたのです。
 劇団の設立記者発表でカメラは最高齢の2人に集中しました。私はそれを眺めながら、よし、必ず実力でカメラをこっちに向けさせてみせる、と思いました。最初の台詞は「このままでいいのかいけないのか、それが問題だ」この短いのが1つでした。他の者が長い台詞をいくつもしゃべっているのに……。
 それから7年、外山文治監督の「此の岸のこと」に出演しました。この作品は、モナコ国際映画祭の短編部門で最優秀作品賞をはじめ、最優秀共演者賞など5冠に輝きました。
 ここまで成長した。もっと上に行こう。

●プロフィール
遠山 陽一
さいたまゴールド・シアター
俳優
1952 年に中卒で東芝府中工場に入社、同時に小金井工業高校夜間部に入学。東芝に44年勤続して60歳で定年退職、在職中から参加していた地域活動を積極的に行う。2006年に彩の国さいたま芸術劇場芸術監督・蜷川幸雄氏率いるさいたまゴールド・シアターに入団、現在までに6回の公演と中間発表に出演し、今年5月にはフランス、パリ公演に参加。

●さいたまゴールド・シアター   http://www.saf.or.jp/gold_theater
彩の国さいたま芸術劇場芸術監督・蜷川幸雄氏が率いる、55歳以上の団員による演劇集団。2013年に結成8年目にして初の海外公演をパリで行い、成功を収めるなど、結成以来注目を集め続けている。2014年は8月にピナ・バウシュ・ヴッパタール舞踊団の日本人ダンサー、瀬山亜津咲氏の振付による初のダンス公演を、11月から12月にかけて演劇公演を予定している。

第6回公演「鴉よ、おれたちは弾丸をこめる」より
撮影=宮川舞子

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